ダニエル・M・タニ
- ミッションスペシャリスト2 - スペースシャトル・エンデバー(STS-108)
- フライトエンジニア - スペースシャトル「ディスカバリー号」(STS-120)
- アクアノート, NEEMO 2
パーソナル・データ 1961年2月1日、ペンシルベニア州リドリー・パーク生まれ。 アイルランドのコーク出身の元ジェーン・イーガンと結婚。 子供は3人。 趣味はゴルフ、飛行機、ランニング、テニス、音楽、料理。 母ローズ・タニと父ヘンリー・N・タニは故人。
学歴 イリノイ州ロンバードのグレンバード・イースト高校を1979年に卒業。マサチューセッツ工科大学(MIT)で機械工学の学士号と理学修士号をそれぞれ1984年と1988年に取得。
受賞歴 2003年、エルムハースト・カレッジ(イリノイ州)より名誉理学博士号を授与。 2003年 米国汎アジア系アメリカ商工会議所 科学技術部門優秀賞受賞 2002年、日米市民リーグ科学技術部門隔年最優秀日系人賞。 NASA宇宙飛行メダル、2001年 1993年、オービタル・サイエンシズ社より優秀技術功労賞を受賞。
経験: マサチューセッツ工科大学で学士号を取得後、カリフォルニア州エル・セグンドにあるヒューズ・エアクラフト・コーポレーションに宇宙・通信グループの設計エンジニアとして勤務。 1986年にマサチューセッツ工科大学(MIT)に戻り、1988年に機械工学の修士号を取得。 卒業後、マサチューセッツ州ケンブリッジにあるボルト・ベラネック・アンド・ニューマン社の実験心理学部門に勤務。 1988年、バージニア州ダレスのオービタル・サイエンシズ・コーポレーション(OSC)に入社し、当初はシニア構造エンジニアとして、その後、遷移軌道ステージ(TOS)のミッション・オペレーション・マネージャーを務める。 1993年9月のSTS-51ミッションでは、先進通信技術衛星(ACTS)/TOSペイロードの展開をサポートするため、NASA/JSCミッション・コントロールと協力し、TOSフライト・オペレーション・リーダーを務めた。 その後、打ち上げオペレーション・マネージャーとしてOSCのペガサス・プログラムに異動。 そこで、ペガサス無人ロケットの打上げ手順と制約の開発を指揮した。 谷はまた、打ち上げと管制室で働くエンジニアのチームを定義し、訓練し、指導する責任者でもあった。
NASAでの経験 1996年4月、NASAから宇宙飛行士候補者として選抜され、1996年8月にJSCに着任。 2年間の訓練と評価を経て、1998年にミッション・スペシャリストとしての飛行資格を取得。 その後、宇宙飛行士室コンピュータ・サポート部門、船外活動部門で技術的な任務を担当し、第4次長期滞在ではクルー・サポート宇宙飛行士(CSA)を務めた。 2002年には、NASA極限環境ミッション運用(NEEMO)-2ミッションの一環として、アクエリアスの海底調査ハビタットで9日間クルーとして活動した。 その後、第11次長期滞在のバックアップ・フライト・エンジニアとして訓練を受け、資格を取得。 第16次長期滞在後は、国際宇宙ステーション支部の支部長を務めた。 また、国際宇宙ステーションのカプセル・コミュニケーター(CAPCOM)を務め、第26次長期滞在ではCAPCOMのリーダーを務めた。谷は2012年8月にNASAを退社し、バージニア州ダレスにあるオービタル・サイエンシズ・コーポレーションのアドバンスド・プログラム・グループのミッション・貨物運用担当副社長に就任した。
宇宙飛行の経験 STS-108エンデバー号(2001年12月5日~12月17日)は、国際宇宙ステーションを訪問した12回目のシャトル飛行。 エンデバー号のクルーは、第4次長期滞在クルーを地球に送り届け、第3次長期滞在クルーを地球に帰還させた。 クルーはラファエロ多目的補給モジュールから3トン以上の物資と科学実験を降ろした。 谷宇宙飛行士は、ISSの太陽電池ジンバルに熱伝導ブランケットを巻き付ける宇宙遊泳を行った。 STS-108は、4時間12分の宇宙遊泳を含め、地球周回185周、移動距離480万マイルを283時間36分で達成した。 -さらに、2度目の宇宙飛行では、第16次長期滞在フライト・エンジニアとして、国際宇宙ステーションで120日間の滞在と作業を行った。 2007年10月23日にSTS-120でISSに打ち上げられ、2008年2月20日にSTS-122で帰還し、フロリダ州ケネディ宇宙センターに着陸した。 ISS滞在中は、ノード2の設置とチェックアウトを支援するため、数多くのロボット作業を行い、5回の宇宙遊泳で合計34時間59分を記録した。